❝生誕100年❞『 白髪一雄』💝 @ 尼崎市総合文化センター

『行為にこそ総てをかけて 生誕100年 白髪一雄』展💝@尼崎市総合文化センター美術ホール。先日、東洋陶器美術館でお聞きした鈴木慈子さんのお話しに触発されて拝見してきました。

「尼崎市総合文化センター美術ホール」は所謂「アルカイックホール」の中にあるんですね(驚)知らずに、Googleマップが同じ場所を指しているので??と思いながら訪問(笑)。アルカイックホールはラジオ大阪の時に公開録音で使わせていただきましたが、本日は「美術ホール」なので入口は5階。

おおっ!入口はやはり白髪さんの「アクション・ペインティング」の写真❣白髪さんは足で描く独自の技法で世界的な評価を得られた方で、「床に広げたキャンパスに大量の絵具を置き、天井から吊るしたロープにつかまってダイナミックに素足で描く」方で、その写真が会場入口に。

白髪さんは尼崎の老舗「木一呉服店」の長男としてお生まれになって、生涯を尼崎で奥様と暮らされました。(1924~2008)アトリエも勿論尼崎にあって創作活動を続けらたようです。

今年が生誕100年という事で生誕の地!尼崎で展覧会が開催されているんですね(喜)。尼崎は「ダウンタウン」さんも出身なので凄い街❣

会場に入るとドドーンと迫力のある作品がズラリと!シニア料金800円(汗)では申し訳ない気分になりつつ、白髪さんの作品群に魅入られてしまいました。

たまたま中学生??なのか、静かな館内で三人の女子が、わき目もふらずに白髪さんの作品のスケッチを黙々としているところに遭遇して感動しました(驚)。私にも絵心があれば描いてみたい(スケッチしてみたい)けど無理ですねぇ(涙)

肖像画をあまり描かれない白髪さんが奥様の「富士子」さんを描かれた貴重な作品。

会場の順路だと飛んでしまいますが、下記「4章」のキャプションが要約して下さってるので白髪さんに興味を持たれた方は、見づらいかもですが拡大して読んでみて下さい。白髪さんの壮絶?な「ヒストリー」💕

ダイナミックな作品の数々に圧倒されます。今なお、塗り重ねられた絵具の底は固まっていないのでは?と、思うほどの絵具の量❣圧巻です。(驚)

こちらは、白髪さんが作品を制作されていた「アトリエ」を再現したコーナーです。

下の写真は実際に白髪さんが制作されている瞬間!

尼崎の中での、アトリエ「三か所」の説明。いろいろありますよね。

東洋陶器美術館で鈴木慈子さんのお話に触発されたお伺いしたのですが、鈴木さんのお話にもあったフランスの「スタドラー画廊」に展示されたのが世界的に有名になるきっかけだったんですね!人と人の出会いは大切!偶然なのか必然なのか???

白髪さんは「人の真似をするな!今までにないものを作れ!」という吉原治良さんが作られた「具体美術協会」に所属されていたんです。その中でも世界に飛び出した最初のアーティストだったんですね(凄)

足だけでなく、手描きの作品も沢山描いて欲しかったです。

次の写真は白髪さんが初めて「具体」の一員として「芦屋公園」の展示に参加された超有名?な作品!赤の丸太を円錐形に組んで、斧で激しく切り付け!。。。。。(キャプションを参照願います。)1955年!私が3歳の頃に(驚)

続いては東京の「小原美術館」で開催された【第一回具体美術展】の模様。全身で壁土と格闘されたんですね。

会場の展示では「3章」になりますが、白髪さんは比叡山で修行されて「得度」されているんですね。(驚愕)何も知らなかった私❣

おおっ❣そうなんですね。

この比叡山で得度されたあとが、先ほど記載した「4章」の「アクションペインティングのさらなる展開」になっていくんですね。という訳で、展覧会の写真は終了なのですが、同じく4階には常設展として「白髪一雄記念室」もありますのでちょっこし写真をば。★入口は5階ですが、途中で4階に展示会場は繋がっています。

いろいろと、書いてきましたが、下の二枚のキャプションを見ていただければ白髪さんの凡その活動はお分かりになるように記載されています。★キャプション参照と言うBlogも珍しいのか❣そんなオッサンのblogですが、ご容赦下さいw

アパレル?洋服もそうですね。展示場の方でTシャツを販売されていたのでこの「オールモーストブラック」ではありませんが一枚、購入させていただきました。UNIQLOとコラボ出来ないかしら?!いや、GUの方が冒険するか?❣(沢山の方に「白髪」さんや「具体」を知っていただければと思った、個人の感想です)

白髪さんの展覧会素晴らしかったので備忘録として沢山の写真もアップしてしまいました。最後までご覧になって下さりありがとうございました。

最後に、白髪さんゆかりの地をめぐる「ボクの尼崎マップ」をGET(喜)

白髪さん満載のエレベーターで一階へ!会場を後にしました。

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この記事を書いた人

上野 公嗣(うえの きみつぐ)
1952年10月11日生まれ
新卒で1975年に大阪放送株式会社(ラジオ大阪)入社。記者クラブ・制作プロデュースなどを経験。吉本興業関係者・所属芸人とも多数親交を深める。
定年後、2008年に吉本興業ホールディングスへ転職。「住みます専務プロジエクト」近畿ブロック代表、京都国際映画祭実行副委員長、よしもとアートエンタテインメント株式会社社長を歴任。アート部門の創設・企画実施や人材発掘に尽力する。コロナ禍においてもアート・芸能の可能性を拡大し続け2023年に退職、独立。

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